2011/11/01

天皇の被災地「巡幸」――何やっテンノー!?

反天連パンフ


発行●反天皇制運動連絡会
2011年10月31日発行 400円

目次

まえがき(北野誉)

「慈愛」と「棄民」の天皇制国家(天野恵一) 

「戦後巡幸」と「国民」の天皇(伊藤晃) 

天皇はなぜいなくならないのか?(彦坂諦)

【反天連声明】


まえがき
 2011年7月10日、私たち反天皇制運動連絡会(反天連)は、東京・江戸川橋のピープルズ・プラン研究所で、「天皇の被災地『巡幸』 何やっテンノー!?」と題した小集会を行なった。震災後マスメディアを通して「国民に向けたおことば」を直接発し、次いで東京の避難所を手始めに、被災地の「巡幸」をおこなった天皇とその一族。彼らの動きを、敗戦時のヒロヒト天皇の「玉音放送」と「戦後巡幸」とに重ねあわせ、政治的な意味を読み解いていくという趣旨の集まりだった。このパンフは、当日の講師三人の発言をまとめたものである。
 詳しくは、直接パンフをお読みいただくとして、ひとつだけ、この集会をめぐるエピソードについてふれておくことにしたい。私たちも参加する8.15などの反靖国デモや、12・23(天皇誕生日)の反天連の集会などに、街宣右翼や在特会といった連中が押しかけて、妨害行動に出るのはいつものことだが、今回、こうしたいわゆる「記念日」以外の日としてははじめて、私たちは妨害の情宣に見舞われた。やってきたのは在特会の友好団体として立ち上がったらしい「日本侵略を許さない国民の会」と、街宣右翼(八台の街宣車が回っていた)である。少なからぬ参加者の協力も得て、幸い大きな混乱はなかった。
 「天皇制というのは、コミンテルンのスパイである美濃部達吉の用語」などという、頭が痛くなるような歴史認識を披瀝していた右翼連中だが、彼らは、われわれが天皇のみならず「被災者を冒涜している」ともがなりたてていた。被災地を「巡幸」する天皇と、それを歓迎する(とされる)被災者の姿。それはむしろ、右翼的な部分をこえた「国民的合意」として賛美されるものとなっている。震災と原発事故を克服し、「がんばろう日本」というわけだ。それが、多くの被害者の声を国家の側が封じ込めていく暴力としていかに機能していくかが、明らかにされていかなければならない。(北野誉)