2011/12/09

反天連集会「原発ファシズム・天皇制」に参加を



反天連集会「原発ファシズム・天皇制」に参加を

「放射能は誰にも区別なく降り注ぐ」──。3.11以降、誰もが被曝当事者となっているという事態を示す表現として目にすることも多いのだが、それはほんとうにそうなのだろうか。これと一見似たものとして、「脱原発に右も左もない」という言い方もある。
前者については、むしろ原発自体が地域差別や下請け被曝労働者を構造化してはじめて推進されるものであること、被害の実相は重層化されたものであることが、明確に論じられるようになってきた。だが後者については、なお根強いものがあるように感じる。
この間、経産省前に張られているテントを統一戦線義勇軍の議長ら
が訪問し、その場に居合わせたメンバーと「懇談」したという件が問題になっている。彼らはその綱領にレイシズムを明確にうたう新右翼の政治団体である。当然、テントの運営委員会からも、彼らを容認し歓迎したわけでは全くないこと、彼らの運動への介入を許してはならないという声が上がった。
しかしネット上では、あいかわらず「左が右を排除しようというの
は運動を狭くするセクト主義」などといった意見が多く見られる。街宣車右翼が連日テントの前に押しかけ、警察などとも連動して運動つぶしにやっきとなっているいま、そうした右翼のふるまいとは異なり、テント撤去をしないよう経産省に要請に赴いた統一戦線義勇軍の行為が注目されるのは、ある意味当然である。別に右翼が脱原発運動をしてはならないなどと、誰も言わない。しかし、「右も左もない」からという口実でわざわざ右翼を招き入れ、それがあたかも運動の幅の広さと寛容さを示しているなどと考えることがわからない。彼らは「日の丸」を掲げてテントにやってきた。「日の丸」に象徴される「国民運動」としての脱原発運動というものがありうるとすれば、それは「日の丸」およびそれに象徴される国民=国家のありかたに違和を抱いていたり、はじめからそこで排除されている人びとにとって、きわめて暴力的なものとなるだろうことは明らかである。
前おきのつもりが長くなってしまった。この「右も左も」という物
言いに私たちが思うのは、いまなお繰り返される「がんばろう日本」ナショナリズムと、それがそっくりだということだ。事故後の天皇による「被災地巡幸」にたいする評価も、無縁とは言えない。
3.11以後の現実とさまざまな行動が、政・官・財一体となった
“怪物的”権力によって、地元やマスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立した「原発ファシズム」(山本義隆)を深層から揺るがし続けている。とはいえ、さまざまに論議されるべき課題は多いのだ。
今年の12.23反天連集会では、冷戦体制のもとで作り出された
核の「平和利用」=潜在的核武装戦略、そのキャンペーンと天皇制の果した役割と、上に述べたような問題とを、まとめて議論する場としていきたい。ぜひご参加下さい。
(北野誉/反天皇制運動連絡会)

●『「反改憲運動」通信』第7期13号( 2011年12月7日号
)掲載