2013/09/10

カーニバル6号 [主張]

         天皇制への翼賛化を撃ち返す楽しい運動を!!
 
 裕仁の珍妙な朗読でいわゆる「終戦の詔書」が放送された8月15日には、63年以降、国家による「戦没者」の顕彰と慰霊・追悼行事が開催されてきました。そしてこの日は、私たちにとっても、30年にわたり、歴史の捏造を批判し、「戦争神社=靖国」を批判する行動の日として持続されてきました。

 この行動に対する右翼団体の妨害と暴力はそれまでにも繰り返されてきましたが、それが在特会をはじめとするレイシスト・ネット右翼と結合して大きく変貌したのは、08年・09年からのことです。今年の8月15日にもまた、彼らによる私たちの行動への執拗で激しい攻撃がなされましたが、しかし、緊急の呼びかけに応えてくれた多くの人々の熱く堅い意志に支えられ、負傷者を出すこともなくこの日の闘いを終えることができました。当日の行動を集約する場における、参加者の方々の、疲労しながらも晴ればれとした笑顔が、いまも心に深く刻み込まれています。

 「一方において皇室中心主義または愛国運動等の美名に藉口して、他人の言論の自由を不法に抑圧し行動を束縛し暴戻専恣の行動をたくましくし、一般国民をしていいたいこともいえぬような社会情勢を馴致し、社会を陰鬱ならしめていることは、社会不安の重大原因をなすもの」。……これは、戸坂潤の時論集「現代日本の思想対立」から引いたものですが、この発言者は、岡田啓介内閣の小原直司法大臣です。時代は5・15事件を経て、2・26事件前夜、小原は思想弾圧や「国体明徴」運動を進める当事者でもありました。これはすなわち天皇制に基づく「挙国一致」に向け、軍や司法官僚による言論統制を正当化する体制の構築の中で発されたものです。うかつに読むと一見してリベラルとも錯覚するような発言が平然となされる背後に、国家や民間においてどれほどの直接的な暴力と抑圧がなされていたか。これはそれが既成事実化させられた後の「仕上げ」に向けた発言で、それを歴史の中で僅かに追うだけでも慄然とせざるを得ません。

 「コ〜ロセ殺セ、ハンテンレン」という、おなじみの右翼たちのコールは、今年は減少しました。レイシストの中には「コ〜ロセ殺セ、チョーセンジン」などのコールが「対外的に不利」とする連中もいるようです。彼らが働きかけようとするのは、直接的にはインターネットの動画サイトなどで「娯楽としての差別」を享受する層です。しかし、安倍政権の支持層全体の中で、その軍事と治安弾圧体制への傾斜、反中韓・反「北朝鮮」・反ロシアなどの対外硬派的対応、国内的には現憲法の破壊とともに、差別と貧富二極化の進行を、あたかもプラスの一挙的な大改革であるかのごとくもてはやす動きが顕在化しているのは明白です。

 今年も8月15日を前に、私たちは7月28日に「討論集会」を開催し、こうした問題について率直な意見交換を行いました。少ない人数ではあれ会場をいっぱいに満たした人々によるそこでの討論内容もまた、改憲や靖国の認識を豊かなものとすることができたと思います。「社会運動」の運動圏の中には、8月15日の行動を「極左と極右のプロレス」と誹謗し揶揄したりするばかりでなく、「護憲と平和主義の明仁天皇」を賛美し、その意を忖度して持ち上げて見せる傾向も、徐々に深まっています。こうした反理性主義、反歴史主義に抗していくためにも、8月15日の取組みは、より幅広く強靭なものにしていかねばならないと強く思います。

 この夏の猛暑は、豪雨と竜巻の大災害を締めくくりにして緩和されていますが、そんな中で、私たちの行動は、皇室イベントの代表でもある国民体育大会=2013年スポーツ祭・東京への反対行動に向かっています。「東京オリンピック」実現に向け、皇族の招致活動への投入も実施されました。これが実現すると、汚染を地下や海、そして労働者に拡大し続ける福島第一原発の現実は覆われ、障がい者やホームレスは隔離され、社会運動全体がさまざまな方面から弾圧され、スポーツが翼賛運動そのものとして組織されることになります。メディアや広告、土建業などをはじめとする各産業が、自衛隊・警察とともにその尖兵とさせられていくでしょう。この期間には天皇の代替わりもまた想定でき、これをきっかけに社会全体の地滑り的な変動が起きる可能性が大きい。無用で食傷気味な危機アジテーションに聞こえるかもしれませんが、社会のさまざまな分野で進行している頽廃は、それほどまでにも深いと感じます。

 これに比べると、東京国体はささやかなものかもしれません。しかし、天皇行事に向けた学校や公務員の動員という本質は、いささかも変わりません。ほんの少しでもこれらに撃ちかえしていく試みの意味を、自ら捉えかえしながら、できるだけ楽しい運動を実現したいと思います。ご支援ご協力を!
(蝙蝠)