2016/04/04

カーニバル37号 [主張]


 起動した戦争法体制下で日米安保と天皇制を問い続けよう!

 三月二九日、憲法を踏みにじり多くの批判を押し潰して強行された戦争法が、いよいよ施行された。福島第一原発の瓦解と大規模な汚染からまる五年を経て、日本国家は戦争遂行が可能な国家として新たに立ち現われたことになる。


 そしてまた、四月二日、ワシントンで開催されていた核安全保障サミットが終了した。今回の核安保サミットでは、ISや北朝鮮の名を具体的に上げ、「核を使用したテロの脅威」や「核管理体制」が重点的に語られたという。安倍はこの中で原発政策の推進を宣言し、臆面もなく「原子力の平和利用を再びリードする」と語ってみせた。さらに、政府は閣議であらためて「核兵器の保有も現憲法における必要最小限度の軍事力の範囲」としている(各紙報道)。


 そもそも「原子力の平和利用」などなく、それは単なる核の拡散に過ぎないというリアルな認識こそがすでに世界的にも主流となり、だからこそこうした「サミット」が開催されているのだ。日本は国内外に五〇トン近くのプルトニウムを保有しているが、その口実としてきた核燃サイクルは下北においても「もんじゅ」においても完全に破綻している。日本国内に保持できないためアメリカに送り出そうとしている高純度プルトニウムについては、サウスカロライナ州からも受け入れ拒否の要求が出ている。


 政府や規制委が「世界一厳しい」と自称する原発の新規制基準が、その安全性において批判され、大津地裁の決定により、稼働したばかりの高浜原発が停止させられたことは記憶に新しい。世界を「リード」するどころか、福島の事態を招き、いまだ収拾もできない企業や「学者」の能力水準の低さは明らかだし、彼らと軍事傾斜を強める日本政府、政府機関によりなされる「原子力の平和利用」は、はっきりとした核の拡散だ。このような日本国家の政策こそが、東アジアの政治状況と相まって軍事緊張を高めている。世界経済の減速と停滞、そしてとりわけ国内消費の低迷のなか、もはや軍需や「国威発揚」を目的とするイベントなどの事業くらいしか新たな投資先を見いだせない大企業は、こうした政策への後押しとそれによる収奪強化ばかりを深めているのだ。


 おりしもアメリカでは、トランプ共和党大統領候補が、安倍に呼応するがごとく、アメリカの核政策を転換して日本や韓国にも核保有を認めよとまで主張している。安倍は、今回の訪米において、オバマ大統領にあらためて辺野古基地建設の遂行を約束した。敗訴の可能性を恐れて沖縄県と「和解」してみせたばかりの政府は、会談での「口約束」をテコに、またも強硬路線をとってくることが予想される。


 私たちは今年も、反安保実行委との共催で、「安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う四・二八〜二九連続行動」を準備している。サンフランシスコ条約が発効した一九五二年四月二八日は、沖縄を切り捨て、米軍の支配下に置くことによって日本の戦後をスタートさせた日だが、現在に至るまで、この事態が基本的には変わっていない。そのことは、沖縄の米軍基地、とりわけ辺野古や高江の状況にも明らかだ。そして、昭和天皇裕仁がこの経過において「天皇メッセージ」などの形で、自らに対する戦争責任の追及から逃れるために、沖縄の「売り渡し」を積極的に推進した事実は、何度でも記憶喚起されなければならない。「構造的沖縄差別」(新崎盛暉)として捉えられる現在の状況は、安保条約をベースとする日米関係と天皇制こそが支えてきたものでもあった。


 近いところではフィリピン訪問や東日本大震災など、天皇明仁と美智子をはじめとする皇族たちは、戦争や災害への「慰霊」「追悼」などを国内や海外で繰り返すことを通じて、その「権威」をさらに高めているかに見える。これらは、スキャンダルまみれの政府や自民党への批判すらもなし崩しにして、現体制を大枠で支持させる影響力として機能するだろう。今回の連続行動は、日本国家の侵略戦争・戦後責任を、現実の政治過程にあらためて位置づけなおし、戦争国家体制を撃つものでもある。多くの人びとの参加を呼びかけたい。(蝙蝠)